川柳会の会長を務める哲さんは、牛養いとしての思いをいつも詩で表現する。家族写真の後ろにあるブロック壁の堆肥小屋。これは、哲さんがつくったものだ。12歳で両親を亡くし、その頃から5人きょうだいの長男として働きに出ていたという哲さん。幸子さんと結婚し牛養いになってからも、1日3時間睡眠で、生きるために、毎日考える暇なく働いてきた。
口蹄疫が発症し、牛が一頭もいなくなった頃。
買い物にも出られず、牛舎に牛がいない時間が続く。
現在、岩崎家の主である長男の勝也さん。口蹄疫の頃も「牛がいないと牛舎が錆びる」と、黙々と牛舎の整備を続けていた。勝也さんの努力が実り、6ヶ月後、再び牛舎に最初の牛が入る。元の状態まで回復したのは、3年後のこと。
今では、400頭を超える牛を養っている勝也さん。宮崎牛のポスターのモデルになったこともある。霧島連山を背景にしたその写真を、哲さんは絵に描きおこしてもらい、額に入れて大切に飾っている。
バイク好きの勝也さんは、複雑な機械整備もほとんど自分でやってしまう。これまで大部屋でおおらかに育てていた牛たちを、小部屋に分けて一頭一頭丁寧に向き合って育てたり、宮崎一と言われるほど最新の機械をいくつも導入したり。勝也さんは自分の代になると、牛舎の大改革を行った。
勝也さんが開発に10年かけたという牛のご馳走。牛がいつも食事をおいしく食べられるように、健康でいられるようにと、胃袋、ミノ、ギアラ……、何個目の腸で消化するのかを緻密に計算してつくったそうだ。勝也さんのレシピは、県内の他の農家さんたちにも公開されている。